慶応義塾大学を創設し、現在の1万円札にも描かれている福沢諭吉。
彼の書いた「学問のすゝめ(すすめ)」は、明治初期の大ベストセラーである。
さて、この「学問のすゝめ」にこんな一節がある。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」
あまりにも有名なので、ご存知の方も多いだろう。
それまでの身分制度を否定し、人と生まれたからには平等だということを述べている。
実に知識人らしい主張だ。
この思想は庶民たちに広く受け入れられ、340万部という爆発的な売れ行きをみせた。
では、そろそろバドミントンの話をしよう。
形は違えど、学問のすゝめ的な平等論で日々バドミントンに打ち込んでいる人は多い。
誰だって、努力を続けていれば必ず強くなれるはずだ、と。
もちろん勝つために努力は大切だ。
だが、考えてみて欲しい。
才能・体格・環境・・・
これらは努力だけでは埋められない。
そう、バドミントンは決して平等ではないのである。
だが、多くの人はこの事実を受け入れられない。
その結果、自分には向いていない戦略を取り続けたり、磨いても武器にならないことに力を使い、その成長を鈍らせてしまう。
本当に強い人は、このことを知っている。
だからこそ偏った平等主義に固執せず、良い意味であきらめて新しい道を探すのだ。
ちなみに余談であるが、冒頭に紹介した「学問のすゝめ」の一節には、一般にあまり知られていない続きがある。
意味を要約するとこうだ。
「世の中は平等だと言われているが、現実には能力の差や貧富の差は存在する。
この差が生まれるのは、学ぶ者と学ばない者がいるからだ。」
そう。
福沢諭吉も、無条件な平等論を展開しているわけではないのである。
■ 今日の格言 「弱者は福沢諭吉の裏の顔を知らない」