「仏の顔も三度まで」ということわざがある。
これは、「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略で、仏のように慈悲深い人でも3度も顔をなでられれば怒り出す、という意味だ。
今ではこれが転じて、「許してもらえることにも限りがある。」という意味合いで使われている。
確かにバドミントンのプレーの中で、パートナーに同じミスを3回繰り返されて平穏でいられる人は少ないだろう。
ミスをしたいプレーヤーなどいない。
3度どころか1度だってやりたくはずだ。
ミスをしまったプレーヤーは、『2度と失敗しないぞ!』と意識を集中しようとする。
ところが、いざプレーに戻ると同じようなミスを繰り返してしまうものだ。
「2度とミスをしない=ミスを0にする」という考え方は、一見徹底しているよう思えるが、実は焦点のぼけた甘い目標設定である。
すべてに集中するというのは、裏を返せば、結局何に対しても集中できていないということを意味する。
実際、そうやって意気込んでいるプレーヤーは、とにかくミスしないように集中するという以外、具体的なことは何も考えていない場合がほとんどだ。
ではどうすれば、具体的なミスの原因に焦点を当てることができるだろう。
ここは発想を変えて、1回でミスを0にするという考えを捨ててみよう。
普段の練習ならばともかく、試合という極度の緊張状態で、意識できることなど1つか2つ。
そんな時にアレもコレもと手を出しては、直るものも直らない。
そこで、ミスの原因と思われることを分割し、1つ1つ片付けていくのである。
例えば、ある日の試合でサーブミスが続いていたとする。
そんな時は、「力みすぎているのではないか。」「今日のシャトルは飛びすぎているのではないか。」というように、いくつかの仮説を立ててみる。
そして、1プレーにつき1つのことだけに焦点を当てて修正していくのだ。
1点を争うゲームで、そんなまだるっこしいことをやっていられないと焦る気持ちはわからないでもない。
しかしものは考え様。
それまでいくら気合いを入れても直らなかったミスが、同じやり方で直るだろうか。
これではゲームが終わってしまう。
だったら、多少回り道でも確実な修正をした上で、後半に取り戻したほうがよほど建設的だ。
本当に勝負強い人というのは、この回り道を受け入れられる人だ。
誰もが焦る中でも、決して焦らない。
この差が、やがて勝敗という大きな形になって現れることを忘れないようにしたいものだ。
■ 今日の格言 「仏様は同じミスを繰り返さない」